the poetics of chanrie's everyday life
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指導教官は、タイ北部でHIV/AIDSに感染した人々を対象に調査をしている。
かれこれもう10年近くになるはず。
そんな彼女のネットワークに、いわゆるHIV/AIDSに感染した人々の互助組織がある。
そこから彼女はある村に入った。
そこには、夫が(例によって)売春宿で感染し、おかげで妻である自分も感染したという女性が居た。
いわゆる互助組織にいるのは、たいていそうやって感染した女性。
自分も感染したのだと分かったある女性がとった行動。
「自分も娼婦になって、男に感染させてやる」
指導教官は、「変な人だよねー、怖いなぁ」と言う。
当然村人からも狂人扱い。
およそ誰にも承認されない形での、彼女の「復習」。
さて、あなたは、彼女について、何を考えますか?
そしてそれは、何を明らかにする思考なのでしょうか?
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いわゆるTNCs(=多国籍企業)な鶏肉をほおばりながら、何がどうなっているか分からない世界では、正常を盲目的に信じることで生きていくしかないんだよなと思う。
あの復讐心はすごくよく分かる気がする。
「これ以上病気を広めたくない」と、私は美しい瞳で社会に訴えることができるだろうか?
自分が社会においてすでに「劣等」な、解決不能な課題を抱えた主体とならざるを得ないのなら、他人も引き摺り下ろすまでだ。
そう考えることはなぜタブーなのか?
なぜ自分が社会における最後の「壁」とならねばならないのか?
自分は社会に「捨て置かれた」にもかかわらず。
ここに現れるのは、「公共性の問題」なのか?
それとも?
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あるとき、京浜急行、人身事故。
「お急ぎのところダイヤが乱れて申し訳ございません」
平謝りの社員たち。
人身事故。つまり、おそらく人が最低でも一人は死んでいる。
死んでいる事実。
それは、「ダイヤの乱れ」としか認識できない。
見知らぬ彼/彼女はなぜ死なねばならなかったのか。
彼/彼女が立たされた「縁」とはどこだったのか。
そんな問いが立つこともなく。
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同じ名のウサギを亡くした。
同名、同盟。
亡くなったのがウサギでよかったと、考えるべきなのか否か。
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